カテゴリー「BOOKS」の41件の記事

マネー資本主義

『バカヤロー経済学』竹内薫著を、眠りにつく前の少しの時間に読んでいるのですが、なかなか進まない。

竹内薫が小学生になって初歩的なことから先生に質問するというつくりの本で、おもしろいのですが、私の頭が経済向きでないのかいちいち「え~と、これは○○ってことかなあ・・・」などと熟考しなくては進んでいけないので、亀の歩みくらいしか読み進めないのだと思う。

こんな私がNHK「マネー資本主義」を見た。

いきなり最終回「危機を繰り返さないために」だったので、どうしてこの危機がおきたのかは再々放送を待たなくてはならない。(再放送も見逃してしまっていた・・・)

賢者といわれる方々のインタヴューから構成されていたが、ばりばり資本主義のかたの考えにはちょっとついていけないものを感じる。

「もともと資本主義に平等はありえない」
「資本主義とは能力によって格差をひろげてゆくものなんだ」

まあ、私だって共産主義ではないけれど、格差っていっても限度があるのじゃない?
この金融危機の中でもボーナス400億円って・・・?(もしかして40億円かも。どちらにせよまったく実感のない数字)

別にソ連型社会主義を懐かしみはしないが、資本主義の塊(イメージ)であるアメリカに匹敵する大国が崩壊してしまったのも、マネー資本主義を暴走させた一つの要因ではないかな。資本主義、金儲けだけが唯一の価値になってしまった。

「社会の目的は経済成長だけでない。公共性をとりもどそう」というサンデル教授の言葉や、「今までのように儲けがでたらそれを株主に還元するのでなく、社会に還元させるシステムをつくろう」と希望を持って語る原丈人さんの言葉に共鳴した。

西原理恵子さんの「日本の実際にものづくりをしている個人って素晴らしいんです。そのものつくりのひとたちにきちんと対価が支払われるような社会にしたい」という言葉にも大賛成!

今でも忘れられないのは、80年~90年代はじめに日本を訪れたことがある英国の知人たちが「日本は”成功した社会主義国”に見えた」と言ったこと。

中流と言われる人たちが大多数だったから、その印象でしょう。

そんな日本になりたい。

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お買い物中毒な私

クラスで映画「お買い物中毒な私」の話題が出た。

6,7年前だったか、この映画の原作The Secret Dreamworld of a Shopaholicを英語のクラスで使っていたことがある。

「英語の本は読み始めても途中で絶対嫌になり、読み終えたことがない」という生徒さんたちに「おもしろくて読む手がとまらなかった」と言わしめた本。

キレイなものを見ると自分の預金残高に関係なくつぎつぎ買ってしまうキャラが日本の女の子の感覚に近くて読みやすかったのだと思う。英語のレベルというより結局自分が興味が持てる本を選べば読み続けていけるのよね。

ちょうどイギリスがバブルの頃で、若い女性でも高いサラリーを得る職種が出てきたころ。それまでの地味な、物をなかなか買わない英国人たちがセールではじけ飛んだように買い物したり、ファクトリー・ショップでうきうきしたりし始めた頃。

それまでの古いものを大切に、買い物にもかなり慎重にという価値観が英国なのだと思っていたが、景気が良くなったら買い物に走る人たちがドーっと出てきて「なんだ、英国人も買い物したかったんだ」と脱力した。(もちろん、皆がみなというわけではないですが)

大体銀行もすごいシステムで、本の中でも大学を卒業したばかりのレベッカが口座を開いてくれたらおまけとして最初の2年間は2000ポンド利子なしで超過引き出しができることになってるし。それで味をしめたレベッカが使うのが止められなくなってしまうのも無理ないかと。

日本でもこういうのはきっとあるのよね?私はイギリスに住んでいた時、口座の使い方が安全だと評価されたのか、利子なしの超過引き出し金額がどんどん増えていって「○○○○○ポンドまで大丈夫ですよ~」みたいな手紙が銀行からよく送られてきていた。そんな勧められても。結局超過引き出しって借金でしょ?

映画では舞台はアメリカ、NYになっているんですよね。
原作のシリーズに長く親しんでいたこともあり、レベッカがアメリカ人なのになじめない。

私はアメリカは訪れたことがないのもあり「アメリカははなから物質主義なんだからレベッカが買い物しても別に驚くようなことじゃないのじゃな~い?」と思ってしまう。偏見かも?

レベッカの両親や隣人の夫婦などは英国南部の普通のミドルクラスのEnglish。レベッカのフラットメイトのスーズ、スーズのいとこのターキンなんてどうしようもなく馬好きなアリストクラートのある種典型だし。

そんな地道で伝統的生活を送る人たちの間で、変わり始めた英国の中で、それも新しい大学卒の新しいタイプの女の子であるレベッカだから余計におもしろみがあったと思う。それにレベッカはダメダメなところもいっぱいあるけれど、隣人夫婦のために立ち上がるところとか、真のやさしさがあるので、どうしても嫌いになれず応援したくなるしね。

仕方ない、見に行こうか・・・と思ったら映画は高知では上映されないんですよね。これも飛行機の中で見るしかないか。

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今起きていること

本の整理をしていたときに、数年前の旅行時に空港で買ったものの読んでいなかった本を見つけて読み始めました。

Sue Townsend の The Queen & I 。

物語は英国が共和制主義の政党が選挙で勝ち、王室のメンバーが2 bedroomの公営住宅に引越しさせられるところからはじまる。

昨晩眠りにつく前に1/4ほど読んだだけなのですが、ダイアナ妃が出てきたり、ウィリアム王子、ハリー王子もまだ小さかったりなので「?」と思い最初に発行された年を見ると、1992年。どうりで王室の財宝を売る相手として日本人が出てきたりするわけだ。そのころ日本はそう見られていたのね。

まだこの話を好きか嫌いか決めかねているけれど、イギリスの普通のワーキングクラスの暮らしが良くかけているとは思う。誇張はあるけど。

チャールズ皇太子やフィリップ殿下は本当に物を知らない愚かな人物に描かれているのに比べ、20代から人生を女王という仕事にささげてきたエリザベス女王は、お話の中でも彼女の物事に向き合う姿勢は尊敬を持って描かれている。

引越しの描写が長い。
持ってきたカーペットが入らず、それが入らないと家具が入れられないので貴重な年代物のペルシャ絨毯を職人を呼び切ってもらうのですが。

すぐに切ってもらうことを決断した女王。
”But these carpets are priceless. It’s would be an act of er...well,sheer vandalism...”とぐずるチャールズ皇太子。

最近知った勝間和代さんの言葉を思い出しました。

「起きていることはすべて正しい」

確かに予定、計画通りに物事が進まないことがあったとき「こんなはずじゃないのに」と思ってしまいがちなのだけれど、そんなこと言ってる間に今現実に起こっていることに対処するのが良いのよね。

エリザベス女王は、受け入れ難い現実に向かうその姿勢が潔く、本当のインテリジェンスだなあと感心した。本の中のキャラクターだけどね。

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『教養脳を磨く』

眠りに着く前にいつも本を読みます。
昨晩、茂木健一郎さんと林望さんの対談の本『教養脳を磨く』を読み始めた。
お二人ともイギリスに住んだ経験があり、イギリスの話題が多く共感しながらするすると2時間ほどで読み終えたものの寝付けなくなった。

イギリス礼賛本ではないけれど、今の日本に不満を抱えているため(って抱えてない人いるのかな?)、茂木さんが「自分の母国をこき下ろすようなことになってしまいましたが・・・」とおっしゃるように日本にたいして、特に大学周辺の事情に対して厳しい意見が出てきます。

でも茂木さんも林さんも日本を愛するがため「どうしてこんなになっちゃったの?」という気持ちになるのだと思う。愛の反対は無関心だもの。こんな風に怒るのは愛なのよ。

(日本で)クラシックファンと名乗る人たちの中には単なるクラシック「オタク」、つまりクラシックに対する雑知識の権化みたいな人はいっぱいいて「ザルツブルクで何年何月何日に演奏されたあのトスカニーニね」などということに生きがいを見出している人がいっぱいいる。でもそんなことは関係ない、大切なのはその音を本当に聴いたときにばっと何かを感じることが出来るかどうかという、非常にソフトな生身の人間の感受性だという話で昨年の夏ザルツブルク音楽祭でご一緒したミスターTJを思い出した。

クラシックのコンサートやオペラは初めてで、でも心のそこから生の音楽を真に楽しんでいた彼の言葉にこちらが感動した。そんな風に受け取ることの出来た彼自身の受信能力が素晴らしいのだと感じ入った。

「ここは世界遺産ですか?」と訊かれて「違うよ。でもそんなことはどうでもいいんじゃない。美しいと思わない?」と答えることがある。多くの日本人にとっては世界遺産かどうかが自分がどう思うかよりも大切なのかなと疑問がわく瞬間。まあお墨付きが好きなだけで深い意味はないのでしょうけど。

だから日本の学者がケンブリッジで集まっても「私は何々大学の・・・」という自慢話をするというのも、まあそうだろうなと思う。まず「名」が大事。

専門の違う人が集まって丁々発止といろいろな話をするそこからいろんなインスピレーションがでてきたり、新しい分野についての知見を広めたりすることができる、そういうことがイギリスのアカデミズム。

この対談から茂木さんが日本のアカデミズムにたいして本当に怒っていているのがわかり、大学周辺にはいない私でも近い経験はしているので彼の怒りが伝染し気が高ぶって眠れなかったのだ。

「日本にいたら頭がおかしくなってしまう」という茂木さんの絶望は深い。今テレビや雑誌、本と何でも引き受けて忙しくしているのは、いずれ近い将来インディペンデント・スコラーになるための助走なのではないかと考えると無性にさみしくなってより覚醒してきた。

ケンブリッジからもクオリア日記は書いてくださいね。英語でも日本語でも。

「本当の論理というものは、しばしば直感に近い」
対談のなかでの林さんの言葉ですが、しばしば論理がジャンプしていると言われる茂木さんの論理を裏打ちする言葉だと思った。その過程は細かく説明できなくてもそうだと思えばそのとおりの直感が正しいことって絶対ある!

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塩野七生さんの来高

先週の土曜日に塩野七生さんが来高してサイン会が行われたのですが、私は仕事の予定が入っていたのであきらめたのです。

彼女の新作『ローマ亡き後の地中海世界』出版にあわせてのサイン会なのでしょうけれど、東京、名古屋、大阪など大都市でのサイン会の最後に高知市というのはかなり意外で、「金高堂はよく呼んだなあ」と思っていた。

今日の新聞に塩野七生さんのインタヴューが載っておりその理由を知りました。

なんと塩野さんは高知に、リタイア後の住居かセカンドハウスを持ちたいとお考えだとのこと。「高知は気候もいいし、食べ物もおいしいし。お酒もおいしいって言うでしょ?目をつけているところがあるから、今回はその辺りを回ってみようと思うの」

確かにリヴィエラの海岸沿いの道を車で走っていると「ここは高知?」と思うことはよくあり、(ニースからマントンのあたりでも”花街道”のようだと感じる)イタリアに長くお住まいで地中海の香りがする塩野さんが高知にリタイアなさっても不思議じゃあない。まあまだ本決まりではないでしょうが、視野に入れてくださっただけでもファンの私としては嬉しいです。

次作について訊かれ
「今回は総じて海賊だったイスラムが悪者だったけど、次はキリスト教徒が悪者になるの。それで私の中でもバランスがとれる」
「歴史は科学ではないから、中立の立場で書くことは不可能です。こっちから見るとこう、逆からだとこう、というふうにしか言えないのね」
とおっしゃる塩野さん。楽しみです。

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贈りもの

今朝突然ある生徒さんが訪ねてきた。
あるケーキ屋さんで「いちご祭りをしていたから」と自分が買いに行ったついでに私が好きそうなケーキを買い持って来てくれたのだ。ちょうど出かける前で少ししかお話できなかったのが残念だったけど。

それにしてもこんな風に誰かの喜ぶ顔を思い浮かべながらさっとそういう行動がとれるのは素敵だなあ。

昨日も友人と話したことに、贈り物、お返しの難しさというのがある。
その友人は何かお返しをしたいのだけど、相手が何でも持っているように思われてあれこれ考えているだけで時間がどんどんたち・・・ということだった。

私はそうして相手の好みやどうしたら喜んでくれるのか考えているその時間がもうすでに素敵だなと思ったけど。贈り物は得てして贈る側の好みに偏ってしまいがちなので。まず相手ありき、の考えがね。

河合隼雄さんが友人間の贈り物について、本当に難しいと書かれていた。

贈りものに対してお返しをする。このとき品物が大切ではなく、「感謝の心」を表現することが大事なのである。(中略)
2人の間の物の交換ではなく、深い心の触れあいの象徴として贈り物が動いている。本来の贈りものというのはそのようなものかもしれない。
『大人の友情』より

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遅れてのはちみつとクローバー

注文していた『はちみつとクローバー』全10冊が届き読んでいると姪が「何でいまごろ?」と。「まだ読んでなかったの?」という感じでしょう。

それは私も思う。本棚の危機なのでなるべく本は買いたくない、とはいっても読みたい英語の本はどしどし買っているわけでますます危機になり、そのうち映画になったのを見に行って読んだような気になっていたもので。

多分本が先で映画を見たら不満だったと思うけれど、映画もよく作られていたといまさらながら思った。お話のエッセンスをしっかりと描いていたから。

本のなかで一番好きなところは森田が急にアメリカに行った時、竹本君がはぐに森田さんに帰ってきて欲しいか訊くところ。

「帰ってきて欲しくない。
やりたい事全部やってみれるまで
がんばるのがいいと思う」

そう答えるはぐが好き。

確かに恋はしてるんですが皆自分のやるべきことはしっかりとやり遂げるその姿勢は見事に共通していましたね。

読み終えたあと思い出し『あのひととここだけのおしゃべり』をひっぱりだして羽海野チカさんとよしながふみさんの対談を読む。

この本は萩尾望都さんとの対談が載っているという理由だけで買ったものの他の対談相手のことを知らなかったこともありそのままになっていた。多分有名な方たちなんでしょうが、私がBL関係に無知なので。

よしながさんの「やおい」の定義では、性別は関係なくて男女でも、そうじゃなくても見た目仲良くないんだけど、お互いの力を認め合っていて、それでその人が本当に困ったときには手をかしてやる関係みたいなもの、例えば『NANA』のナナとハチ、『エースをねらえ』でもお蝶夫人とひろみ。『のだめ』も男女でやおいなのだそうで。こういう関係はまさしく私の一番好きな関係性なんですよね。

羽海野さんが描き始めるときに恋愛じゃないけれどすごく仲がいい・・・・っていうのは何だかとてもときめくなぁって思いそこからのスタートだったというお話に納得しました。

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エイドリアン・モールの日記

大変美しい澄んだ空の土曜日だけど普通に授業。

英語で日記をつけたいけれどどうやって書いたらいいのかわからないとある生徒さんが言う。小説のような日記を書こうとして「できない」といっている場合が多いのでThe Secret Diary of Adrian Moleをすすめる。こんなに簡潔に書いていいんだよ、とサンプルの文章を見せると「ほんとだ~」と意外そう。

これは少年の日記だからシンプルなんでしょう?と思うかもしれないけれど、オスカー・ワイルドの手紙だってだらだらした文章ではないですよ、もちろんずっと美しいけれど。

この本を私が読んだのは1982年。懐かしくなってAdrianの話を友人としていたらなんと来年映画が公開予定だという。それと私は最初の3冊しか読んでいないけれど続いていて2004年に出版されたシリーズ最後の6冊目ではエイドリアンはなんと33歳だというから驚き!いやまあ自分も年齢を重ねているしエイドリアンもそうだったのね・・・。

でも映画はアメリカ製作ということで、この大変にEnglishらしい男の子のEnglishらしいコメディーがなぜにどうやってアメリカ映画になるのかいまから心配。

それでなくても原作物の映画は難しい。
飛行機の中で見ただけだけれどThe Other Boleyn Girl(ブーリン家の姉妹)の映画でも姉妹のそれぞれの性格があまりにも単純化されていて、原作が良かっただけにこういう人間を黒か白かに分ける映画を作らないで欲しかったな。いやこういうのを求めている人が多いというだけなのか。女優さんたちとドレスはきれいでそれは楽しみましたが。

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マシューの弱さ

レッスンでAnne of Green Gables(赤毛のアン)を使っているクラスがいくつかあるんです。はじめたばかりのクラスではちょうどアンが駅から馬車で家まで連れて帰ってくるところを読んでいて、気にかかることがあるんですよね。

マシューが駅で初めてアンに会ったときに「間違いだ」といえず「とにかく家に連れて帰ってマリラにまかそう」と思うところがどうも気にかかる。その長い道中美しい景色に感動してしゃべり続けるアン。何度読んでも到着したあとのアンは大丈夫かはらはらします。

特にそれまでの景色を楽しんだアンが家に近づいてきたのを知り

Have we really only another mile to go before we get home? I’m glad and I’m sorry. I’m sorry because this drive has been so pleasant and I’m always sorry when pleasant things end. Something still pleasanter may come after, but you can never be sure. And it’s so often the case that it isn’t pleasanter. That has been my experience anyhow.というところでも胸が痛む。

後で間違いに気づいたアンが
I might have known it was all too beautiful to last.というのを知っているから。

アンが Why didn’t you tell me at the station that you didn’t want me and leave me there? If I hadn’t seen the White Way of Delight and the Lake of Shining Waters it wouln’t be so hard.というのももっともだと思う。でもマシューは答えずにそこでも逃げるし。

先延ばしにしたことで余計に傷が深くなるのでマシューが駅で言わなかったのはずるいよ、と思ってしまうのですね。まあそんな弱さ、Nobody is perfect なのを描いたところもこの本の良いところかもしれないと思いますが。

でもそういったら生徒さんたちは

「駅で言ってたらアンは道中の美しさも楽しめなかった」
「私も言えないとおもう」
「本だから」
「言ってしまったらお話にならなかった」

なんかクールなの。

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読書の時間

4月までバレエをお休みすることにしたので運動不足が心配で家でストレッチとか歩きとかやってます。

え?ストレッチはわかるけど「歩きって」って?

兄の書斎に便利な歩く機械があるのです。
少し負荷がかかる、カウント、カロリーなどがわかるもの。

これが珍しく続いているのは、その機械のそばで塩野七生さんのエッセイ本をたくさん見つけそれを読みながら歩いているから。面白いので思いがけなく長く(といっても15分ほどだけど)歩くのよね。そこでしか読まないことにしているので、早く続きが読みたくなり時間をみつけて書斎に上がってしまうのも○。

今読んでいるのは『イタリア遺聞』。
そのなかのヴェネツィアのホテルについての文章の中に、彼女がホテルダニエリに泊まることを決意するくだりで

「英米仏の彼らの作品が私のよりも有名なのは、彼らが国際語で書いているからでしかない、と思わざるをえない場合がしばしばある。英訳されても恥ずかしくない作品を書こうと心がけているというのに、有名度に差が存在するだけでなく、取材の環境にまで差がつくとは・・・」

とあり、
まあ最近は以前に比べれば少しずつ英訳される本は多くなっているけれど、英語というだけでいきなりインターナショナルというのはちょっとズルイとは確かに思うが、そういうことを四の五の言う前に茂木さんなんかは英語で本を書こうとしているし。その姿勢がいいんだな。(「俺らがおまえらにあわせてやってるんだよ」とはこぼしてはいましたが)

塩野さんもイタリア語は堪能だろうしイタリア語で書けばいいとも思い、でもイタリア語も世界の中では”国際語”ではないから同じことか。

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タイム・プレッシャー

大阪を訪れたい理由があることもあって、茂木さんが大阪においでることを知ったときによほど今日大阪に行こうかと考えたのですが、サイン会だけじゃあね。やはりライブでお話が聞きたい!

それに旅行の説明会の予定を早めに終わらせたいので、大阪に行ってる場合じゃない、書類書類。自分で期限を決めるとそれまでに終わらせることが出来るので少し無理した予定を入れる。でも大阪の予定をいれると無理だと感じてやる気がしなくなりそうで。これもタイム・プレッシャーだよね。ちょうど良いタイム・プレッシャーでないと。

茂木さんの本のなかではダントツで売れている『脳を活かす勉強法』は勉強法となっているけれど、日々の生活で私がそれとなくしていることが説明されていて大変納得。

効果的な勉強法として紹介されているものの一つが、時間を決めて問題を解いてみるタイム・プレッシャー。

なまけものの私は以前から家事や、苦手な書類仕事などに期限を決めてするとはかどるのはなぜかな(というよりはそうしないとできないのは何故だろう??)と思っていたのでこれだったのか、と思った。

あと、自分で勉強のレベルを決めることが勉強を楽しくするというのも、私の場合、バレエのレッスンはもちろんのこと、例えば洋服を作る場合でもあまり簡単なものは自分が楽しめなくて作る気がしなくなるとか、旅行の予定などもあまりスムースに簡単にできるよりも、少し複雑な手順をふんだほうが面白くなるというのもこの「適度な負荷をかける」ということで説明できる。

学生の時にこういうことに気づいていたらさらに良かっただろうけど、大人の日々の生活にも十分活かすことが出来ますね。

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庭の哲学

ヘッセの『庭仕事の愉しみ』をひさしぶりに手に取り、庭仕事しているものだからこその言葉にいちいちうなずく。

・・・・つまり園芸には創造のよろこびと、創造者の思い上がりといったようなものがある。私たちは夏のために自分の好きな果実や、好きな色や香りを作ることができる。・・・
けれどもやはりそれにも固有の厳しい限界がある。結局のところ私たちは、どんなに欲張っても、想像力を働かせても、やはり自然が望むところのものを望まざるを得ず、自然に創造させ、自然に任せるほかはない。

そして、庭の中で四季を通じて見るひそかに、すみやかに、まぎれもなく進行している命あるものの循環。

誰でもそうであるように、私もこの整然とした循環を、当然の、しみじみと心にかなうこととして受け入れる。そして、ほんのときおり、、種を蒔いたり、収穫をしたりするときに、心の中で、数瞬間、この地上のあらゆる生き物の中でひとり私たち人間だけが、この事物の循環に不服を言い、万物が不滅であるということだけでは満足できず、自分たちのために、個人の、自分だけの、特別なものをもちたがるというのはなんと不思議なことであろうかと思うことがある。

ちょっと自分をみているようで笑ったのは
ディレッタントで怠け者で、夢想家で冬眠者の私たちは、またしても今、春に不意打ちされたのに気がついて、うかうかと快い冬の夢を見て過ごしていたあいだに、勤勉な隣人たちがきちんとしてきたことを眺めて驚く。

これって、私だけじゃなかったのね。
なんだか嬉しい。

Flowerarranging_034Flowerarranging_0323月に剪定をするべきだったのにそのままにしていたプルンバーゴ。

のびほうだいでローズマリーの上までのびのび~。

夏の花はやはり青系が良いですね。

今日の王子様は
Flowerarranging_033  

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図書館のサービス

高知城のお堀沿いに歩き、大手門を抜けて県立図書館に。

この時期のお城の木々を見たいためにすこし遠回り、といっても2,30メートルだけどね。葉の緑の濃淡と形、なによりも長い年月を経た樹木の大きさにうっとり。

私の通った中学、高校に近かったので親近感もあるけれど、場所がお城の横で緑に囲まれ本当に気持ちの良い場所。

そこここにある展示も良く練られていて、先月の「英国児童文学とその舞台となった場所」とか、「高知の自主映画上映会の情報とそれらの映画に関連のある図書の紹介」など興味深い展示にいつも出会う。

2階の階段を上がったところの毎回違うテーマで本を紹介しているコーナーもすぐにでも読みたくなる本ばかり。

こんな努力にもかかわらず図書館貸し出し数が下がってきているということで5月からインターネットサービスが始まりました。
http://www.pref.kochi.jp/~lib/(高知県立図書館のホームページ)

これは便利。
サービスの主な内容は
本の検索(蔵書にあるかどうか)
貸し出し状況の確認
予約状況の確認
返却期限の延長
資料の予約

私の家の本棚はいつも危機的状況なので洋書は仕方ないとしても、和書の購入は控えめにしたい。そのために欲しい本をドンドン買ってしまわずに一度図書館で読み、その上で手元に置き何度も読みたい本のみ購入とか何とかしないと。

そのためにもこのサービスをうまく利用できるといいな。

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小さい頃に読んだ本

新聞で『○○いろの童話集』というアンドルー・ラングの童話全集の宣伝を見た。

これって私が小学生のときにのめりこんだお話かしら?

小さい頃読んだ本はもう一度読みたいと思っても、タイトルや著者名があやふやで大人になってから探すのは難しい。この本の記憶は「○○いろの」とついた童話集だったということくらいしか手がかりがない。

原著は英語なので、それを注文しようかなとAmazonを見てみたところ日本版についてのコメントで
「今回原著にそって12色の色の名前がついた新訳として出版された」
とあった。

あれ、それじゃ旧版はタイトルがみどりいろとかあかいろじゃなかったの?それじゃあ私のお気に入りだった本じゃないことになる。とりあえず図書館で読んでからにしようか。

他にも『ロビンソン・クルーソー』とか、アラビアン・ナイトからのいろんなお話が入った手のひらザイズの本もどこに行ったのか。想像したこともないような不思議なお話がたくさん入っていてその国に行った様な気になりながら何度も何度も読んだものだけど。

冒険物が好きだったけれど、少女らしい話ももちろん読み、10歳のころ『若草物語』にもはまった。子供用ではなかったのでわからないところもあって。ピアノが好きだったこともあり自分はベスだと思い込んでいた。

クリスマスの朝、マフの中にりんごのパイを入れて「手が温まる」とか。マフの中にどうやってあの丸くておおきなアップル・パイを入れるのか、とか色々謎が。(これは小さな丸いパイ生地を半分に折った中にりんごを入れて焼くものだったと判明)
「天路歴程」ごっこ、というのもどうしてもわからなくて。後にジョン・バニヤンの本から来ていたのだと知りました。

変にやさしくしている本よりも原著のままのほうがやはり面白いのでは。わからないところがあっても子供のときはそれで楽しく読んでいたし。

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幸福の王子

昨夜からまたオスカー・ワイルドの書簡を読んでいる。
オスカー・ワイルドの言葉のリズムやウィットが大好き

ついレッスンのなかでも彼について言及してしまう。

戯曲のほうは知らなくても、『幸福の王子』の作者だというと
「ああ!」という声が。
そんな中ただ1人、知らないと言い張る生徒さんが。

もちろん知識なんてさほど重要ではない。単に今まで出会わなかっただけだし。
タイトルを知らないだけかもと一応お話をし始めると、思い出して涙があふれそうになる。

『ナイチンゲールとバラ』も。
ナイチンゲールが学生のために白いバラのとげに胸を押し付けて歌い出来た赤いバラ。
花より宝石のほうがと言われた学生が
・・・・he threw the rose into the street,where it fell into the gutter,and a cartwheel went over it.

オスカー・ワイルドの人生を考え、彼の中の「ネガティヴで怪物のようなもの」を想い、どういう努力をもってそれらをこういう作品に仕上げていったのだろうと想像するとオスカーを抱きしめてあげたくなる。

しかし、ある生徒さんの
「ボクにとって国語のなかで読んだ本は、試験のためのもので、この文章をどうやってといていくのかしか考えて読んでなかった」
という言葉は私にとっては衝撃!でした。

心でしか読んでいない私と対極のところにいるヒトなんですね。

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遠くから その2

本は出来るだけ近くの本屋さんで買いたいと思っていはいるのだけど、洋書がない。いやあるにはあるけど少ないので、結果アマゾンでの注文となる。

でも売れ筋の本は普通の値段だけど、そうでないとマーケット・プレイス(古書の場合が多い)で時々とんでもない価格になっている。

探していた本が、元は1500円くらいなのに、日本で手に入りにくいからかマーケット・プレイスで8000円とか1万円以上とか。

で、こうなったらアマゾンU.K.だ。

その1万円の本はU.K.のほうでも在庫がなくイギリスのマーケット・プレイスを見たら、新品のものが0.1ポンド!
マーケット・プレイスのほうは個人で送ってくれるので送料は7ポンドなんだけど、それでも7.1ポンド(今日だと1600円くらい)
0.01ポンドなんてのもあって、いったいどうなってるんでしょう?

見てたら欲しい本がどんどん出てきて困る~。

とりあえず友人に頼まれていたTVドラマのシリーズ,DVDをBOXセットで注文。
U.K.のボックスセット(シリーズ1~3)で1万5000円は高そうな気がして友人に確かめるため電話する。
すると、彼女曰く
「日本ではシリーズ1だけで1万6000円以上はするから3分の一の値段なの」
だそうで、ただ当然のこと英語で、字幕も英語なので、英語が好きでない友人には貸してあげられないのだけがちょっとね。

delivery by Christmasというのもちょっと嬉しい。
別にプレゼントじゃなくても遠くから届くとプレゼントみたい。

思いついてイギリスでのマンガ人気はどうなのか見てみた。

結局アメリカの出版社で訳された本と同じもののようですね。
「エロイカより愛をこめて」もしっかりあるし。
コメントで「もともとはファン雑誌に載っていた英語訳で読んだ」という人がいた。
そうやって地下で(?)広がっていたのね。

ふと思いつきでMoto Hagioでみた。

A,A’とオムニバスしかない。
しかし、このA,A’のへのコメント。
3つのコメントがそれぞれ萩尾望都さんの世界をしっかり味わってのコメント。
I would recommend this book not only to lovers of manga and anime,but also for those who like a good story with a bit of philosophy.とかね。

新しいマンガは次々に訳されているようだけど、望都さんの以前の作品も英訳本をだして欲しいな。やはりこういうところで日本語のマイナーさを感じて読者が世界に(英語に比べて)広がりにくいのをもったいなく思う。

A,A’へのコメントはこちら

http://www.amazon.co.uk/Prime-Viz-Graphic-Novel/dp/1569312389/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1195737980&sr=1-1

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『カブール・ビューティー・スクール』

旅行の前にフランスの歴史関係の本を読んでおこうと思いつつ、つい他の本に手が伸びた。

今、アフガニスタンの人たちのことが知りたくてず~~~~っと前から借りたままになっていた『カブールの本屋』を読み始めたところ。
本も出合いなので、そのときの気分とあわないと読めないので今やっと気持ちに合った、というのは単なるexcuseかな。

『カブール・ビューティー・スクール』
毎日のようにアフガニスタンのことは新聞やTVで目にするのに人々の生活についてなんて無知だったんだろうと思う。

著者は最初NPOでカブールに数ヶ月の予定で行き、アフガニスタンの人々が大好きになり、いったんアメリカに戻ったもののカブールに美容学校を開設したアメリカ人女性デビー。

NPOで一緒にカブールに来た他のメンバーは皆医療の経験があり、無力感を感じていたデビーが、帰る頃にはアフガニスタンの女性たちを手助けできる彼女にしかできない仕事を見つけた。

ただの思いつきのようなこのことが、困難はあったものの少しずつ形を成していくのをみるのは爽快。

なにから、そしてどこから手をつけていいのかわからずポール・ミッチェル社の留守番電話に美容学校開設のアイデアを吹きこみ、そして、ポール・ミッチェルのオーナー自らの電話!そして、「何でも欲しいものを寄付する」と。
いや、アフガニスタンに行くまではことが簡単に運ぶけれど、問題はそこからだ。

何でも始めるのは簡単だけど、継続が大変。

デビーが知り合ったアフガニスタンの女性たちに向ける目は本当に温かで、読んでいる私自身もこれらの女性を身近に感じた。

ロシャンナ、パシーラ、トペカイ、スラヤ、ヴァル、ハマ、ナヒダ、ミナ、ライラ、バハール、ロビーナ、皆みんな、どうかどうか幸せであって欲しいと願い、TVでのアフガニスタンのニュースに心痛み心配になる。

私がアゼルバイジャンやカザフスタンの人たちとイギリスにいたときに知り合ってから、その国は地図の中のどこか遠くの国でなくなった。
でも本の中で知り合うことでもその国が身近になり友人を心配するようにその国の人を心配する感情は生まれるものだね。

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ホリー・ゴライトリーじゃないけれど

引き続き旅行の予約。

JALのは予約と同時に支払いなので、その価格の席があと10席くらいなのでどきどきしながら、一応夕べのうちに旅行会社で手に入る格安航空券も調べた。

ほんとうにこういう価格はあってないようなものなので調べ始めるときりがない。
結局関空からのJALのパリ行きはエール・フランスとの共同運航なのでエール・フランスで予約、購入することに決定。名と価格がちがっても同じ便、変なの。

授業前に旅行会社で残席を確かめ、今度の旅行に参加する人たちに連絡をとった。
皆の同意を得て、さて5時から予約、と電話したら、
朝あった席がもうなくて高い席しか残っていない!

席の動きが本当に早い。

いろいろあって、結局は行きはエールフランス直行、帰りはKLMでアムステルダム乗換えで出発の日を一日早くすることで乗り越えた。冷や汗。

今回は私にしては早くに予約を始めたと思っていたけれど、人がたくさん動く時季はこれでは遅かったのか。

宿泊も苦戦してます。
だいたい、イギリスにいたときに友人たちはホリディの計画を半年前にたてて予約してたものね。早く動けば動くほど経済的に楽だとはわかっているのだけれど。

いつも旅行と旅行のあいだのような生活であるような。
カポーティの『ティファニーで朝食を』のホリーがいつも”Traveling”とかいたカードを送ってきたように、somewhere to belongを私も探しているのだとは思わないけれど。

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カポーティ

Img_2326 高知では映画館が少ないせいもあり自主映画上映がさかんなのだが、日にちがあわなくて行けない事も多く、数も限られているので見たくても見ることができない映画も多い。
そんな自主映画上映会のベスト10から選ばれた作品の無料上映会に行った。

カポーティは高知では未公開作品。

トルーマン・カポーティは高校生のときに短編を読んで夢中になり、『ティファニーで朝食を』『遠い声、遠い部屋』などは読んだが、『冷血』だけは、題材がそのころの私には恐ろしく思えて手に取らなかった。

映画「カポーティ」は、彼がその冷血を書くにあたって取材していた時期のみの彼を描いたものだ。私が知っていたカポーティは、巧みな話術で一躍社交界の寵児となり、その時代にゲイであることを隠さず、「深海魚の目をしている」といわれた少年だった彼。
その私が持っていたイメージどおりの彼でした。

自らの傷を見せることで、初めて会う警戒心の強い人さえからも信頼を勝ち取ってしまうカポーティ。親しい友人の作品が映画化され、そのパーティーで感想をきかれても自分の関心事で頭がいっぱいでそのことばかり話すカポーティ。

取材相手の殺人犯ペリーのことを面白おかしく友人たちに話す一方で、カポーティはペリーに対して真摯で、友情に近いものを感じている。

「早く処刑という結果が出て、本を最後まで書ききりたい」と思う気持ちも、「彼を助けたい、死んでほしくない」という気持ちもどちらも本当。
ペリーの殺人事件を題材にして、”In Cold Blood”というタイトルで小説を書きながら、ペリーにタイトルを訊ねられると、「決まっていない」とあくまでも白を切る。偽善者のように見えたかもしれないがそんな単純なものではない。

ペリーもあんな残酷な殺人を犯した人ということを忘れそうなほど、繊細で思いやりのある一面を持ち、人間の奥深さを考えさせられた。それと同時に死刑という刑罰についても。

カポーティの言葉「僕らは同じ家に育ち、ペリーは裏から家を出、僕は表玄関から出た。」
そういうことなのかもしれない。

カポーティは派手で饒舌で自信にあふれた態度を持ちながらも、繊細で愛情深く、そのとき一瞬一瞬自分自身に正直で、それがゆえに自己中心的で。

きっと、人間は皆、いいものでも悪いものでもなく、
いいものでも悪いものでもあるのだろう。
その了解の上で、
誰かに、何かに、
懸命に愛をそそいだらいいのだと思う。
本谷美加子

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朝の空気

茂木さんにならってというわけではないが、3日前から朝ブログを書くようにした。

夜、その日にあったことを思い出しながらというのはやりやすいスタイルではあるけれど。夜は私が思うに、感情が激しやすい時間帯だし、日によってはワインなど飲んだ状態で書くのもどうかなと。 いや、私はワイン1本くらいでは、覚えてないほど酔うことはないですが。

朝書こうと決めたら目覚めも爽やかで、寝ている間に脳のなかで情報が整理されたようで気持ちよく書くことができた。

しかし、今朝早い時間に外出する用事があり、4日目にしてはやくも挫折。
本当の3日坊主ですね。

脳の中で何が行われているのかはわからないけれど、確かに朝のほうが頭が冴えて物事の輪郭がはっきりとつかめそうな気がした。

How far will my scientific and general knowledge take me?

Can I learn to look at things with clear,fresh eyes?

How much can I take in at a single glance?

Can the groovs of old mental habits be effaced ?

This is what I am trying to discover.
    
(Goethe  Italian Journeyより)

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世界は勝ち抜き戦ではない

茂木さんの昨日のブログの中で、
バッハのコーヒー・カンタータについての記述が面白くて思わず声を立てて笑った。

娘がコーヒーに夢中になって、
「お父さんごめんなさい、私はどうしても
コーヒーがやめられないの」
と言い、父親が
 「困ったやつだ。そんなことを続けていると
大変なことになるぞ」
などと問答をする脱力した歌詞の
曲だけれども、
 メロディーと相まって何とも言えない
雰囲気をかもし出している。

 バッハの曲の中で、何が一番好きか
と言えば、
 やはり私にとっては『マタイ受難曲』
や『ゴールドベルク変奏曲』あたりが
上位に来るのだろうと思う。

 それに対して、『コーヒーカンタータ』
はきっと上位にはランクインしないだろう。
 「無人島に持っていく一枚」にも
ならないだろう。

 しかし、だからと言ってこの世に存在しなくても
良いかと言えば、そんなことはなくて、
他のもののでは代え難いユニークな
存在感を持っている。

 世界は、「これとこれではどっちが
良い?」
という勝ち抜き戦ではない。

 あえて比べれば、どちらが良いか、
というような判断はあるかもしれないが、
「比べる」ということがそもそも
一つの強制力、暴力性の
現れである。

 世界のほとんどのものは、比べられもせず、
お互いに無干渉で、勝手に息づいているのだ。

    茂木健一郎 クオリア日記より

本当に毎日の生活の中で比較してしまう事のなんと多い事か。
ただそれぞれの違いをそのままうけとり楽しむ自分でありたい。

Img_2214 今読んでいるゲーテのItalian Journy。

高校生の時に日本語で読んだのだが、英文で読み返して(ドイツ語で読む事が出来ればそれに越した事はないが)一体何を読んでいたのか、と思う。

「旅行とは異質なものに触れて自分自身を発見する事」とゲーテは言うが、似たような世界になってしまったらその楽しみも得る事ができなくなってしまう。

イギリスにいた時、誰か人の話になり、罪の無い話が悪意になりそうで、個人への批判めいてくる時、よく”Thank God! We’re all different.”とその場の誰かが言った。
みんな違っていてよかったね、という感じ。
そういう感覚を大切にしたい。

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ナルニア国の入り口

Wales のサイトのWaniさんにBBCのイギリスの雪景色のPicture Galleryを教えてもらいました。
わくわくするような写真がたくさんあります。
グロースターシャーの雪の写真はこちら、
http://www.bbc.co.uk/gloucestershire/content/image_galleries/weather_jan_2007_gallery.shtml

なかでも一番のお気に入りは
Here is the Narnia at the end of my garden.
http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_pictures/6342037.stm
(7番をクリックしてみて。)
ちゃんとLamppostもあり、本当にNarniaに行けそう!(いや、今は怖くて行けそうに無いが)

それにしても、雪に大はしゃぎの感じが伝わってきてこちらまで嬉しくなりますね。
Englandでは、あまり雪が降ることが無いので、降った時には公共の交通機関がストップし、冬雪があるのが当たり前の国から来ていたスイスや北欧の友人が「なんでこれきしの雪で大騒ぎ?」とあきれたりしていましたが。

あのLamppostはMalvernの雪の日のLamppostからうまれたもので、C.S.ルイスはHerefordshireの土地からひらめきを得てNarniaを書いたそうです。
近くに住んでいたこともあり、よくMalvern Hillsに歩きにいったが、そういえばあの丘の大きく広がる景色はAslanが出てきてもおかしくないような。

同じくBBCにNarniaとMalvernについての記事がありました。
http://www.bbc.co.uk/herefordandworcester/content/articles/2005/12/07/narnia_feature.shtml
ルイスがMalvern Collage に一年とはいえ在学していたとは知らなかった。
それにトールキンと一緒にいた時だったのね、lamppostを見たのは。
今度ナルニア国物語を読むときは、Malvern Hillsの風景を思い浮かべながら読んでみよう。

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エジプト本いろいろ

ほとんどあきらめていた頃に決まったエジプト行きなので、なんだかあたふたしています。

イギリスに住んでいたこともあり、ヨーロッパだと多分東京に行くよりはリラックスして行けるのですが、(東京ほど都会が広がった街は例を見ないので)初めて訪れるイスラム国なので、本で一夜漬けのように知識を集めようとしていて、我ながら見苦しいことこの上ない。

今まで読んだエジプトに関する本は、
小さい頃読んだハワード・カーターの『ツタンカーメン王の秘密』
吉村作治先生の本『ピラミッド文明・ナイルの旅』など何冊か、
坂田靖子『バジル氏の優雅な生活』
山岸涼子『ツタンカーメン』
Agatha Christie Death on the Nile
くらいか・・・・情けない。

昼から”ながら”ですが、
k.m.pの『エジプトがすきだから』と『エジプトのききめ。』を読む。
3年前にエジプト旅行した兄に聞いてはいたものの、すさまじい「バクシーシ」攻撃の話など、想像を上回る怖気づくような話がいっぱい。
でも2人がエジプトに恋しているのが伝わってくる。

今、『古代エジプトうんちく図鑑』を読みはじめたところ。
写真はなく、全編著者の芝崎みゆきさんが描いたイラストつきでなにもかも説明していて、それがまたかゆいところに手が届くというか、よく調べていて興味深い。
神々の絵巻の世界の始まりなどは、古事記につうじるような生々しさで「古代の人たちは所は変わっても似たような発想を持っていたのだな」と思った。

まあ、知識は知識。
やはりライブで古代の建造物を感じたい。
ナイルを渡る風を感じたい。
バクシーシをねだる人に会いたい、かな?

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意欲的な高齢者

バレエの先生に昨日家でしたバレエの練習について訊ねられ赤面。
先生も私のブログを読んでくださったのね。
秘密の特訓はできないなあ。

その成果はあったのかどうなのか、第一部の練習は皆の踊りがそろっていたらしく、踊り終わって拍手がきて思わずにんまり。
もちろん「指の先まで情感をただよわせる」踊りとは程遠いのだけれど。

お昼はバレエ仲間と一緒にした。
「若い人と話すとおもしろいよね、いろいろ新しいことを知っているし」など「若い=素晴らしい」という発言がよくでてきて納得いかず、反論する。

私は60歳以上で英会話をはじめた人を生徒として何人も知っているのだが、それらの人たちとの会話は本当に興味深い。
好奇心もあり新しいことに挑戦し続け、外見も意識してきれいにしていて。
こんな風に年を重ねたいというモデルがいる。

私と若さ親奉の人たちの意見を聞いていた人に、
彼女たちの普段接している人たちと、私の生徒さんたちのような60歳以上の人とは違う、と言われ、そうかもと思う。

「病気自慢のような人ばかりで」と言われると(60歳はまだ老人ではないけれど)”老人”とひとくくりにするバカらしさを感じる。
それと同じで若いといっても様々。

人はそれぞれ自分の見た、経験したその範囲で語るのだという当たり前のことを思った。

しかし、若さ信奉だと、年をとっていく自分が悲しくなるのではないだろうか。
そんな風に自分自身に限界をもうけないほうがいいのでは、と言ってはみたが、通じたかな?

創造性の程度は、側頭葉に蓄えられた「体験」と、前頭葉によって創られる「意欲」のかけ算で決まる。
経験なしに創造性は生まれない。
2006年に生誕250周年を迎えたモーツァルトも、幼少期よりたくさんの音楽に接してその体験を側頭葉に蓄えたからこそ、あのように驚くべき創造性を発揮することができたのである。
年齢を積み重ねるほど、体験の厚みも増す。
高齢になると創造性が落ちる、と一般的に言われるのは、「意欲」が低下するからであろう。
逆に言えば、意欲的な高齢者は「最強」だということになる。

茂木健一郎 『すべては脳からはじまる』

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ライヴの魅力

今日Ariaさんと話していて、「東京の音大に通っている元生徒が機会がたくさんあるのにコンサートなどを聴きに行かない」という話から、ライヴの力を知るものと知らないものがいるのでは、という話になった。

それは音楽に限らないで、あらゆる場面で言えるのでは?
CDを聴いているからコンサートは行かなくても、とか。
美術本持っているから展覧会に行かなくても、とか。
バレエの舞台はDVDで細部が見れて本物より良い、とか。
いや、実際そういうことを言う人は知らないが、行動はまさにそういう感じ。

旅行していても、TV番組で見たことのある風景や建物を確認するための旅行になってしまっていたり。

本や映像で(最近なら検索で?)ある国の知識をたくさん持っていて、でも訪れたことはないのに、実際の経験から話す人の言葉を否定したり、というのも同じことだと思う。
食べたことのない料理を「まずい」といったり、「○○人はこうだ」という決めつけとか。
どこかの誰かからの情報のみをうのみにして、どうしてそんなに確信を持って話せるのか不思議でなりません。

とりあえず、自分で動いて体感してみることが大事だと思う。
もちろん、自分が体験することはほんのすこしで、見えていない部分も多々あるということを踏まえたうえで、あくまでも自分のライヴ感で語ってほしい。

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萩尾さんと茂木さん

『やわらか脳』茂木健一郎著、を読んだ。

2004年、2005年のクオリア日記を編集したものなので(ってこれこの間も書いたよね?)時々ちゃぶ台をひっくりかえす茂木さんが新鮮。

「怒るのは愛の表現です。すばらしい新しいものを、本気で他者に向き合ってつくろうじゃないか。居心地の良いぬるま湯につかっているやつらのことは、オレは知らない。」

そのとおり。
愛の反対は無関心だものね。
茂木さん、かっこいいです。パンクだ。

あと、彼が、萩尾望都さんの作品について、脳の性差をとりあげるのは好きではないとしながらも、
「ストーリー展開が、ゆらぎ、ふわふわ流され、ふっとよぎり、飛び、くるくると巻いていく感じ、というか、
少年漫画のような、きっちりと、バン、バンとシンボリックな記号が立ち上がってそれが並んでいく、という感じがないというか、
読んでいて、女の人の思考プロセス(表面的な女らしさというのではなくて、もっとも内面的な、そして奥底にある女らしさのようなもの)を覗き込んでいるような気がした。」

と書いていたのも興味深かった。

Poe

小学校の低学年のときに、ピアノの先生のお宅で萩尾望都に出会ってからマンガを読み始めたようなものなので、彼女の作品は私にとっては別格で、イギリスで暮らしていたときもいつも望都さんの単行本は身近においていた。新刊が出ると友人が送ってくれたり。

イギリスで、寄宿学校にいる日本人の男の子の後見人をしていた時、Half Term(学期途中の一週間の休み。とにかく休みが多いです)で遊びに来た男の子たちが望都さんの本を読んで、口をそろえて、
「少女マンガは深い。女の子っていつもこんな深いことを考えてるのか。太刀打ちできそうもない」と言うので、
「そうよ~、深いのよ~」と、脅したことを思い出した。

いや、少女マンガどれにも当てはまるわけではなく、萩尾望都さん特有のものを彼らは感じたのだと思うが。

茂木さんと望都さんの対談の様子は以下のポプラ社のページで読むことができます。

http://www.poplarbeech.com/kagaku/kagaku_001.html

http://www.poplarbeech.com/kagaku/kagaku_002.html


『やわらか脳』で一番響いた言葉。

思うに、いいものを作ることと、
いいものが増殖していくことだけに心を配っていれば、
人生は十分に幸せなのであろう。

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本つながり

バレエのレッスンの後、本つながりで最近親しくなったバレエ仲間とお昼をいただく。
同じ本を読んでいるからといっても、感じ方はそれぞれだし、必ずしもsoul mateになれるとは限らないのだけど、話していて心に触れることが多く楽しいときをすごした。

学生のときにまだ図書館の本がコンピューター管理でなかった頃には、本の後ろにカードがついていて、借りた人の名を記すようになっていた。そうすると、本を借りるたびに同じ名前に出会うことがあり、気になった。
斜に構えて、マイナーな本を読んでいたので、「私以外にこの本を読む奴って・・・?」って感じ。

これで、相手が男の子なら、「耳をすませば」のように、恋が始まることもあったのでしょうが。残念ながら、というか、女の子で、向こうも私の名がひっかかっていたようで、後にsoul mateになりましたが。

そんなことを思い出しながら冬の清潔な星空の下バスを待っていたら、私たち2人の名前だけ書かれたカードが貼られた詩集を思い出した。

『ポール・エリュアール詩集』より 自由
 Liberte  Paul Eluard  


ぼくの生徒の日のノートの上に      
ぼくの学校机の上と樹木に
砂に、雪に
ぼくは書く 君の名前を

読まれたすべてのページに
書かれてないすべてのページに
石 血 紙に、灰に
ぼくは書く 君の名前を

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金色に塗られた絵本に
騎士たちの甲冑に
王たちの冠に
ぼくは書く 君の名前を

ジャングルに、砂漠に
獣や鳥の巣に、エニシダに
子供時代の木霊に
ぼくは書く 君の名前を

夜々の奇跡に
日々の白いパンに
婚約の季節に
ぼくは書く 君の名前を

ぼくの青空の切れ端すべてに
かびた太陽の池に
輝く月の湖に
ぼくは書く 君の名前を

野に、地平線に
鳥たちの翼に
さらに影の風車に
ぼくは書く 君の名前を
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夜明けの一息ごとの息吹に
海に、そこにうかぶ船に
そびえる山の上に
ぼくは書く 君の名前を

雲たちの泡に
嵐の汗に
降りしきる退屈な雨に
ぼくは書く 君の名前を

きらめく形象に
色とりどりの鐘に
自然の真理に
ぼくは書く 君の名前を

目覚めた小道に
広がった道路に
あふれる広場に
ぼくは書く 君の名前を

ともる灯りに
消える灯りに
集まったぼくの家々に
ぼくは書く 君の名前を

ふたつに切られた鏡の中と
ぼくのは部屋の果物に
空っぽの貝殻のぼくのベッドに
ぼくは書く 君の名前を

食いしん坊でおとなしいぼくの犬に
その立てた耳に
そのぎこちない前足に
ぼくは書く 君の名前を

ぼくの戸口の踏み台に
慣れ親しんだものに
祝福された炎の波に
ぼくは書く 君の名前を

同意したすべての肉体に
友だちたちの額に
差し伸べられた手それぞれに
ぼくは書く 君の名前を

驚きのガラスに
沈黙よりはるかに慎み深い唇に
ぼくは書く 君の名前を

破壊されたぼくの隠れ家に
崩れ落ちたぼくの灯台に
ぼくの倦怠の壁に
ぼくは書く 君の名前を

希望のない不在に
裸の孤独に
死の歩みに
ぼくは書く 君の名前を

戻ってきた健康に
消えさった危機に
記憶のない希望に
ぼくは書く 君の名前を
Img_0027

そして
ひとつの言葉の力をかりて
ぼくはまた人生を始める
ぼくは生まれた
君を知るために
君に名づけるために

自由(Liberte)と。

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フィリッパ・ピアス

日本では、多分『トムは真夜中の庭で』の作者として知られているフィリッパ・ピアスさんが昨年12月21日に脳卒中で亡くなっていたことを今朝知った。86歳だった。

9月15日の私のブログhttp://eikoku-club.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_17ef.htmlにも書いたように月の光りが煌々とおちてくる庭をみると、いつもこの本のことを思い出す。

昨夜も家に帰ってきたとき、満月の明るい光りがさしこんでいて美しく、さほど寒くなかったのもあって「何かがおこっても不思議じゃない怪しさだなあ」と思いながら庭で少しの間すごした。

彼女はCambrigeshireで生まれ育ったのもあって、作品からはその地域のかおりが漂ってくるような気がする。ちょっと湿った空気感。
Ely大聖堂を訪れた時も「これがピアスの本の、あのイーリー大聖堂か」と考えたりもした。

私は霊的なものにはそんなに興味はないけれど、Supernaturalな短編ばかりを集めたピアスのTHE SHADOW-CAGE AND THE OTHER SUPERNATURAL TALESは好きで何度も読んだ。
死んでからも自分の庭が気になって庭作業してしまう霊とか。
どうしよう!自分もそんなになったら。
まあ、英国の幽霊は陽気というか、関係ない人に「うらめしや~」とかしないので気楽です。

変な話になってしまったけれど、
心よりご冥福をお祈りいたします。

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佐渡裕

京都生まれの指揮者、佐渡裕の『感じて動く』を読んだ。

いろんな場所でのコンサートについて語っているが、すごかったのは彼が忘れる事が出来ないコンサート、という2003年暮れの「第九」の演奏会。
指揮している自分が完全に「幽体離脱」して舞台の真上から見ている感じだったという。何もかも抱き込んで、お客さんをも含めて自身の存在がすごくゼロ近くなって、会場の上から眺めているというような初めての感覚。

どうしてあんな境地に至ったのかと考えて、彼が思うのは、彼とオケと観客の間にある種の「熟成」の期間があったということ。
その冬にはそれまでに何度も振ったことがあるこの曲を特に再度研究して音を築きあげた、というコンサート。
でもそれだけではなくて、3日間振ってその3日目だけに起こした奇跡。

演奏家は舞台に立ち、聴衆の拍手を浴びた瞬間に、どれだけの期待感が集まっているかをかんじることができる。それが演奏に影響を及ぼす。
まさにライヴだからこその奇跡なんですよね。
演奏会を悪く言う前に、観客一人一人もその日の演奏に責任があるということを自覚するのもいいかもね。

彼の母親がまたいい。
「こういうことしたら、あんた、人は気持ちよくかんじへんやろ」という言葉。これが佐渡さんの音楽における「幸福の基準」。
人を喜ばす、人の気持ちを大切にする、人をワクワクさせることへの思いが強い人。

佐渡さんの実践からいえることは、オケ全員が持っている音を追求する事こそが全員のやる気を生む。自分に従えという「力」ではなく、本質に対する「共感」こそが集団の動機ずけとなる。

感じる、身近な感動に心振るわす。
そういうなかで、人は動く。動かされる。

『のだめカンタービレ』の大河内君の言う「指揮者はまず人間性」というのは、彼にかぎっては真実のようですね。
千秋様もこれからね。

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こだわりの旅?

夏から考えている、ヨーロッパじゃないところに行きたいITCHY FEETは今のところ、エジプトに向かっています。
しかし、ヨーロッパを訪れるのと違って、計画が難しい。

単にヨーロッパは慣れている、ということもあるが、航空会社が毎日飛んでないとか、あってももう売り切れとか。本来ならツアーは参加したくないけれど、やむをえないかもしれない、と弱気になってきたところ。

ハワード・カーター氏からの影響が強いので、どうしても
「やはり、OLD WINTER PALACE HOTELでゆっくりしなくては」とか(いや、彼がここに泊まったわけではないけれど。カーナヴォン卿とかだけど)
アガサ・クリスティーも泊まったホテルも訪れなくては、とか
変なこだわりを持っているのがいけないのか。
ルクソール中心で行きたいなあ。

遺跡や歴史関係の本を読みつつ、プランを考えるのが楽しい。
昨晩は、アガサ・クリスティーのDEATH ON THE NILEをうっかり読み始めたら止められなくて、
ご飯の時にも読み(お行儀悪いけど、家族は旅行でいなかったので)
「世界不思議発見」を見ながら読み
ワインをごくごくブリチーズと一緒にいただきながら読み
それでも終わらなくてお風呂に入りながら読み、
結局、夜中3時までかかって、終わらせました。

確か中学生の時にも読んだけれど、今読むと謎解きだけでなくて、彼女の確かな人間観察が興味深い。
以前読んだ時には気づかなかったそれぞれの登場人物の性格設定、それを表す行動など、やはりうまいなあ、と感心する。
ポアロさんって、いつもいろんな人のことを親身になって、忠告したり、心配したりする暖かい人なんですね。TVドラマではあまり感じなかったけれど。

Cimg0079_2 Cimg0074
これは、DEVONのアガサ・クリスティーの家を訪れた時の写真。
どちらも、広大な庭を散歩してた時に撮ったもの。

 

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Oscar Wilde

Wilde 今日はオスカー・ワイルドがパリで1900年に亡くなった日。

私は彼のウィットに富んだ会話が大好き。
今は英語で困る事もないけれど、彼の英語をお手本にさらに精進したい。
英語というより、頭の回転が問題になってくるような気もするが・・・それは、まあ、気にしない、気にしない。
彼の文章は今読んでもくすくす笑いがでてきます。

There is no such things as a moral or an immmoral book.
Books are well written,or badly written. 
That is all.

Experience is the name everyone gives to their mistakes.

I like men who have a future,and women who have a past.

先日のルイサダ氏の関東地方のリサイタルに行った方の彼のピアノへの辛らつな批判にはこう応えましょうか。
I don’t play accurately-anyone can play accurately-but I play with wonderful expression.
As far as the piano is concerned,sentiment is my forte.I keep science for life.

さらにオスカー・ワイルドの素敵な言葉を楽しみたい方は以下のページでどうぞ。

http://www.geocities.jp/oscar_wilde_fansite/quote.htm

声に出して英語のほうを読んでみて。
戯曲、ということもあるが、とにかくリズムが良い。

彼の手紙の英語もリズミカルで、きっとオスカーは歌も上手だったはず。

It was a great pleasure to me to meet you again:
the dearest memories of my Oxford days are my walks and talks with you,
and from you I learned nothing but what was good. 
How else could it be?
ジョン・ラスキンへの手紙(1888年6月)

シニカルな事を言っているそばからあふれてくる心の優しさ、愛情が手紙ではすけてみえて、本当にチャーミング!

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和食

いつも洋物の料理を作っていると思われているようなのですが、いえいえ、夕食はたいてい和風です。
それというのも、母の闘病中だった一年以上前に『病気にならない生き方』を読んだから。

友人でもこの本に嫌悪感を示す人もいるけれど、私はもともと魚と野菜中心の生活だったので、すっかりなじんでしまった。

しかし、最初はとてもストイックに牛乳やチーズでさえも恐る恐るって感じだったけれど、日が経つにつれてゆるくなってきた。
変にストレスになるのもかえっていけないので、まあそれもありかなと。

今晩は、
玄米。
大根とえのきのお味噌汁。
里芋の田楽。(家庭菜園で今年でき始めでやわらかい)
茄子の胡麻和え。(これも庭から。今年最後かも)
鯖の生姜煮,ほうれん草添え。
紅玉りんご。
こんな感じです。

これで痩せないのが不思議だ、
っておやついっぱいいただいてるものね~。

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ボディが来た

といっても、麻張りの裁縫用ボディです。

近くで気に入った洋服を見つけることが出来ないので自分で洋服を作っています。
でも、困るのはジャケット作る時。
袖の後ろがどうなっているのか身体をひねって、鏡に映してもはっきりとはみえないし。
だいたい、身体をひねった時点で、変なしわが出来るし。

自分と同じサイズ、身長も!のボディなので、これから仮縫いが楽々になるかも。
Body
ちょっと最新作を着せてみた。
窓際におくと、『シャーロック・ホームズの帰還』のよう。モーリアティー教授が騙されるのも無理はない。
私も、このボディを、意識せずに見ると「人がいる!」と、ぎょっとするから。


Body_1 今日は風が強くて、寒そうだったので、4年前に作ったジャケットを羽織らせてみました。



Check 今度は、このチェックの生地で、のだめドレスでもつくろうかな。

いろんな方からの質問がありましたが、TVののだめの洋服は、既製品でなく、コミックを基につくられた1点ものだと思います。(本のなかでも、洋裁を仕事にしているのだめのお母さんが作っていたしね)
似たデザインで、少しずつ違えてるけど、秋のせいか、毎週チェックのワンピースですね。

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月の癒し

よく月の光を感じる事が出来るところに住んでいるので、
月が明るい夜には夜中でも庭をうろうろします。

おどろくほどあかるい、魔法の世界にいけそうな『トムは真夜中の庭で』 Tom's Midnight Garden by Philippa Pearceでおこったことも本の中のことじゃない、と思えるような夜もあります。

この本が、もっと月のサインを教えてくれるのでは、と興味しんしんで読んだ。
しかし、これは、月の話、というよりも自然のリズムを感じましょう、自分の身体の声をききましょう、という話でした。
そういえば、原題は、Aus eigener kraft(自分の力で)なのでした。
本格的に実践するには「月の星座」カレンダーも必要だし。
(月の星座とは、月の動きにしたがってひと月を12にわけたもの。毎月、おひつじ座からうお座までのすべての星座があり、ひとつの星座の期間は2日から3日となる。)

1)手術をうけるなら下弦の月の時期に。
  家事で汚れ落としを効果的にしたい場合もこの時期に。
2)新月の日は、身体の浄化に最適なので身体に悪いものを断つのもよい。新しいことを始めるのにも適している。
3)上弦の月のときは、身体がいろいろなものを吸収してエネルギーをたくわえる時期。普段よりもふとりやすい。 
4)満月の日は、身体がなんでも吸収する。(添加物なども)

などはもう良く知られていることかもしれませんが、これらは、面白そうなので、すぐに取り入れたい。
毎晩月の様子を気にするのもなんだか楽しそうだし。

特に興味深かったのは、食事について。

それぞれの土地で、その土地ならではの現代医学のバランスからはかけ離れた食事をし、それでもいわゆる健康で長寿の人たちが多い土地がある。北メキシコのインディアンは毎日カップ半杯のとうもろこしと、とうもろこしビールしかとらずに1日に20キロから40キロ走る。一般的な基準からすれば不健康な生活をしているチロルの農民が病気もせずに90歳まで生きる。など全ての人に正しい食事法などない。

あと、ハーブや病気のことなども月の星座にてらしあわせて説明していますが、いきなりはちょっと無理。筆者は小さいころから祖父にすこしづつ教えてもらったので、身にしみついているのでしょう。

私がこの本に書かれていることでできそうなことは、
1)できるだけ土地の作物をたべる。
2)楽しくつくり、楽しく食べる。
3)自分の身体に耳をかたむけ、何を欲しているか良く考える。
  自分の感覚を信じる。

なんだ、実践していることばかりか。
でも筆者はこの教えをガチガチに守らなくちゃ、というような姿勢ではなく、押し付けがましくも無いので読んでいてすがすがしいです。
自分の好きなところだけとりいれていい、って感じがね。

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デヴォンのはちみつ

Sizen2671去年作った小夏マーマレードが少なくなってきたので、このごろ朝のトーストにはバターと蜂蜜をつけています。

蜂蜜を塗るたび、デヴォンのあるHealth Food Shopを思い出します。

旅行でデヴォンを訪れたとき、「以前デヴォンに住んでいたときに食べた蜂蜜が美味しかったなあ。」とふと思い、おみやげにしようと、あるお店に入り蜂蜜のことを尋ねました。
いろいろ詳しく教えてくれて、でも、私がどこに住んでいるのかお店の方が訊くんです。
日本からだというと、「蜂蜜は栄養があるけれど、自分の住んでいるところで採れた蜂蜜が本当は身体に一番いいのよ」 
そして、その理由で「あまりおすすめはしないわ」と。

食べ物はなるべく地元で採れたもの、という意識はあるものの、蜂蜜は考えた事がなかった。南フランスでは迷わずラヴェンダーの花の蜂蜜買ったしね。
今は高知産ではないけれど、なるべく近くで採られたはちみつにしています。

2,3日前の朝日新聞に映画「ハチミツとクローバー」の評論が載っていて、その中で、映画の冒頭で、19世紀アメリカの詩人、エミリー・ディキンソンの詩の一部が掲げられていると知りました。

To make a prairie it takes a clover and one bee,
And revery.
The revery alone will do
If bees are few.

草原をつくるには
ひとつのクローバーと一匹の蜜蜂がいる
そして夢もいる
もし蜜蜂がすくないなら
夢だけでもいい

なんだか、映画みたくなりましたね、これだけで。

エミリー・ディキンソンは短い格言のような詩も多いのでよく引用されているのを耳にします。
Forever is composed of nows.

My friends are my estate.
Forgive me then the avarice to hoard them.

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よさこいまつり

今日、高知市中心街での仕事のため、バスに乗ったところ、鏡川の橋をわたるところくらいからバスが進まない。
また事故かな、と思っていたところ、旭の競技場のところを通りかかり、やっと、よさこい祭りのせいだと気づいた。
結局いつも30分のところ、1時間以上かかってしまった。
市内15ヶ所に競技場があり、そこを180以上の団体が回って踊りまくるので、
町は踊り一色、皆ただならぬ高揚状態にある。
普段は老人だらけなのに、どこからこんなに若者がわいてでてきたのかといつも思う。
踊っている女性が美女ばかりなのも不思議。
皆すっかり、祭りにのみこまれて、演技者の顔になっている。

まあね~、私も参加したときは、すっかりガラスの仮面をかぶり、祭りに、いや、自分に?酔いしれたものだが。

さて、踊り子たちをよけながら、図書館へ。
お城(高知城)のそばにある緑に囲まれた図書館は、やはり落ち着く。
図書館長が変わってから、(丸地さんという方をヘッドハンティングしたらしいが)
本を読んでもらいたいという意思が強く伝わってくるいい図書館になった。

本の紹介やいろんな取り組みもしているが、私のお気に入りは、これ。
Library 毎週違うの!
先週はたしか、折り紙でつくられたペンギンが、涼しさを演出していた。

ほんのちょっとしたことだけどね。

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庭で読書

Bench 私の住んでいるところは、建物が少なく、緑にかこまれているせいでしょうか、梅雨があけてから、ぐっとすずしくなったように感じます。

いや、もちろん、太陽の反射はきびしいので、秋のような涼しさではないのだけど。風が通り抜けると結構気持ちがいいのです。

今日も、「外は暑いのだろうなあ」と思いながら庭にでてみると、意外に大丈夫。
なので、庭のベンチでしばらく読書しました。

このごろ、マンガか、モンテーニュ英訳本しか読んでなかったため、ちょっと軽めのミステリー、Dorothy L.Sayers のWhose Body?。

ドロシー・セイヤーズは探偵物でイギリスではとても人気のある作家です。特にピーター・ウィムジー卿が主人公のこのシリーズは、会話もウィットに富んでいて楽しい。
再読だけど、どんな展開だったかおぼえていない。気の利いたセリフはところどころ覚えているが。
まあ、経済的でいいかも?(また謎解きができるから)

あ~、ここに召使がシャンペィンとイチゴを銀のお盆にのせて持って来てくれたら最高なんだけど。

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翻訳本

里帰りした友人が遊びに来て、朝から晩まで笑って話をして、まだ興奮気味。高校生になった娘さんと、映画や本の話があったのも、嬉しかった。

すこしゆったりしようと、モンテーニュ(Donald M. Frameの英訳版)を開く。
エッセイなので毎日無造作に開いたページを読んでます。
英語で書かれた本は、英語で。それに加えて、ヨーロッパ語源の本もなるべく英訳されたものを読みます。
それというのも、英語から日本語というのは訳するとき距離が遠い、とおもうので。

昔は時間をかけて、調べつくして、たくさんの注釈入りの美しい日本語を使った翻訳本がほとんどだったような気がしますが、最近はなんだか時間があまり与えられてないのか、事情はわからないけど、雑な訳にあたるので、翻訳本を読むのをやめました。

一度、”Briget Jones’s Diary”の訳を友人に頼まれてチェックしたことがあります。
私は翻訳の訓練を受けた事もないし、日本語に優れているわけでもないのに、と思いながらすでに英語で読んでいた、その訳本を読み始めると、腑に落ちないところが次々に。

ほとんどが、イギリスの文化に精通してない事から来る間違いでしたが。
でも、翻訳本出版にあたって、イギリス人にみてもらったらしいことが記されていて、「何をチェックしてもらったんだ?」と疑問が。
Cream Teaがクリーム入りの紅茶だったり、Fairy Liquidというイギリスでは一般的な食器洗剤の名を知らないために無理やりの訳になってたり。

誰でも知らない事があるのは当たり前なので、ただ調べてくれたらいいのに。昔の翻訳家は、見たことも聞いたこともない物、その一言を訳すために大変な苦労をしていたのに。
ひどく急がされてその時間もないのかなあ?
せめて、イギリスの本はその文化に感心がある人に訳してもらいたい。

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ターキッシュ・ディライト

あるクラスでNarnia(『ナルニア国物語』)のCDブックをきいていたところ、Turkish Delightにみんなの関心が集中。現実の食べ物なのか、すごく気になったみたい。

もちろんいまでも手に入る、ゼリーが少し硬めになったような(表現がおいしくなさそうですね、すいません)もので、よくあるのはレモン味か、バラ味。流し込んで固め、それをサイコロ状に切ってパウダーシュガーをまぶしてます。

その関連で、本のなかの食べ物に関する質問が次から次へと。”オックスフォードのマーマレード”とか(ランサムですね)、クランペットとか。

ストーリーよりもそんな細かい事が記憶に残ったりするものなんですね。
いや、私も子供のころ”塩づけライム”(若草物語)は本当においしいのか気になったけど。

そのなかで、一番衝撃を与えたのは、スパゲッティの缶詰。
けっこう一般的な食べ物ですが。
スパゲッティを3センチ程に切ってゆでたものが、甘いトマトソースのなかに入ったものですね。また、このソースの量が多い!中の物がスパゲッティじゃなくて、いろんな形をしたパスタ(伝統的でない変な形の)の場合も。
ホームステイ先で、土曜のお昼に出されたSpaghetti on Toast(薄切りトーストの上に、温めた缶詰を流したもの)をはじめてみたときは私も驚きましたが。割とよく食される軽い食事です。

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ジャクリーヌ・デュ・プレ

Jackie_1 私にとって、苗を選ぶとき大切なのは、まず強健な事。次に見た目、そして名前。これは、若くして難病でなくなった天才チェロ奏者の名前のバラ。

この人は、’ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ’というタイトルの映画でよく知られていると思う。原題は、Hilary and Jackieで、こちらのタイトルが本質に触れている。姉妹愛、なんて言葉ではいいつくせない、痛々しい2人。
と、思って、映画のもとになった、Jackieのお姉さんと、弟さん、共著の本’A Genius in the Family'(邦題:風のジャクリーヌ・・・こちらも、邦題意味成さないです)を読んでみると、本当に、よくこれだけ正直に家族の事を書けたものだと思うと同時に、書かずにはいられなかったんだろうな、とも感じた。単に家族の中に天才が出た、というんでなく、お母さんの音楽への妄執からいろいろ生まれ出たのではないかという気がしました。悪いお母さんというのではないけど、あまりに影響力が強すぎて、ジャクリーヌもヒラリーもピアーズもその被害者のような。

この本が出版されたときに、イギリスではかなりの悪評ばかりで、ジャクリーヌは亡くなっているので弁明できないのに、とか、金儲けのため本をだした、とか。
今回読んでみて、私はとてもそんなふうには思えなかったけど。
ジャクリーヌは神格化されていたので、ショックだったのかもしれないですね。

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本が来た

注文していた本が届いた。
洋書が簡単に頼めるので、つい、いつも買いすぎてしまう。
今回一番楽しみにしていたのは、鴻上尚史『ドン・キホーテのピアス11 生きのびるために笑う』ータイトルからして示唆に富んでいていいね~。
週刊誌の連載エッセイを集めたものなんですが、鴻上さんのなにげない日常を記しながらも、いろんなことについて深く思考していて、それが、わたしがその当時考えていた事と重なって、興味深いです。ただ、今回の本は2005年9月までのものなので、時間差が。もうちょっと急いで出版してくれないかなあ。

彼を知ったのは『ロンドン・デイズ』。文化庁から派遣されて、鴻上さんがロンドンの演劇学校にいたときのことを書いた本。やはり、演出家なので、観察力があるのか、たった1年間の滞在で、イギリスの文化、社会、英語の事、日本という国のいろんなことについて、こんなにするどく気づいた人を他には知りません。日本以外の国の人とコミュニケートすることを1度でも考えたことがある人なら、絶対読むべき本だと思います。『ドン・キホーテのロンドン』と一緒にね。

実は『エロイカ 33巻』も一緒に届いたんだけど。
やっと少佐がデスクワークから解放されて外に出ていろいろするようになったので、-変装もあったしーおもしろくなってきました。
ケルトや、「竜の歯」なんかも、興味深いです。
しかし、マダムの妄想は他人事ではないので、案外好きかも。

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