カテゴリー「BOOKS」の42件の記事

2009年12月28日 (月)

二者択一

新聞の一面に載っていた勝間和代さんの本の宣伝に驚く。

そのタイトルは『結局、女はキレイが勝ち。』
勝間さんなので、普通の美容本ではないだろうけど、その下の「勝間さん、キレイでない私も、生きていていいですか・・・・?」(香山リカ)とあったのがやけにおかしく、笑ってしまった。(香山さんもおきれいな方ですが)

香山さんは著書『しがみつかない生き方』の中で「勝間和代を目指さない」との章があり、その後対談もなさったのですよね。対談本は来月発売ですが、勝間さんの口ぶりだと平行線だったのかな。

エンジン01で高知にいらした勝間さんから感じたのは「善意の人である」ということ。
勝間さんにはお姉さんがいて、その姉たちを見ていて学んだことは多く、同じように自分が得た知識や知恵を遠くの妹たちに伝えたい、そういう気持ちでの著作活動だとおっしゃいました。自分が努力して幸運をつかんできたように妹たちにも幸せになってもらいたいのでしょう。

でも勝間さんにあこがれて、努力して努力して、それでも成功しないひともいる。香山さんはそんな人たちに「自分の努力が足りないから不幸なんだ」なんて自分を責めることはないですよ、と言っていて、どちらが、ではなくて、どちらも正しいのでしょう。

二者択一の場合、たいてい「どっちも」なんですよね。

「イギリスと日本とどっちが住みやすいですか?」
どっちも住みやすいよ、が私の答え。

勝間さんが書いている毎日曜日の新聞のコラムにははっとする言葉も多く、学ぶこともたくさんある。そこからヒントを得て自分の全力でがんばってみる。それからほかの人と比べて「もっと」「もっと」と思うのでなく、今自分が持っているものそれを感謝の気持ちで見つめるのがいいのじゃないかなあ。イギリスで出会った多くの人たちはそうだったな。

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2009年7月20日 (月)

マネー資本主義

『バカヤロー経済学』竹内薫著を、眠りにつく前の少しの時間に読んでいるのですが、なかなか進まない。

竹内薫が小学生になって初歩的なことから先生に質問するというつくりの本で、おもしろいのですが、私の頭が経済向きでないのかいちいち「え~と、これは○○ってことかなあ・・・」などと熟考しなくては進んでいけないので、亀の歩みくらいしか読み進めないのだと思う。

こんな私がNHK「マネー資本主義」を見た。

いきなり最終回「危機を繰り返さないために」だったので、どうしてこの危機がおきたのかは再々放送を待たなくてはならない。(再放送も見逃してしまっていた・・・)

賢者といわれる方々のインタヴューから構成されていたが、ばりばり資本主義のかたの考えにはちょっとついていけないものを感じる。

「もともと資本主義に平等はありえない」
「資本主義とは能力によって格差をひろげてゆくものなんだ」

まあ、私だって共産主義ではないけれど、格差っていっても限度があるのじゃない?
この金融危機の中でもボーナス400億円って・・・?(もしかして40億円かも。どちらにせよまったく実感のない数字)

別にソ連型社会主義を懐かしみはしないが、資本主義の塊(イメージ)であるアメリカに匹敵する大国が崩壊してしまったのも、マネー資本主義を暴走させた一つの要因ではないかな。資本主義、金儲けだけが唯一の価値になってしまった。

「社会の目的は経済成長だけでない。公共性をとりもどそう」というサンデル教授の言葉や、「今までのように儲けがでたらそれを株主に還元するのでなく、社会に還元させるシステムをつくろう」と希望を持って語る原丈人さんの言葉に共鳴した。

西原理恵子さんの「日本の実際にものづくりをしている個人って素晴らしいんです。そのものつくりのひとたちにきちんと対価が支払われるような社会にしたい」という言葉にも大賛成!

今でも忘れられないのは、80年~90年代はじめに日本を訪れたことがある英国の知人たちが「日本は”成功した社会主義国”に見えた」と言ったこと。

中流と言われる人たちが大多数だったから、その印象でしょう。

そんな日本になりたい。

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2009年6月22日 (月)

お買い物中毒な私

クラスで映画「お買い物中毒な私」の話題が出た。

6,7年前だったか、この映画の原作The Secret Dreamworld of a Shopaholicを英語のクラスで使っていたことがある。

「英語の本は読み始めても途中で絶対嫌になり、読み終えたことがない」という生徒さんたちに「おもしろくて読む手がとまらなかった」と言わしめた本。

キレイなものを見ると自分の預金残高に関係なくつぎつぎ買ってしまうキャラが日本の女の子の感覚に近くて読みやすかったのだと思う。英語のレベルというより結局自分が興味が持てる本を選べば読み続けていけるのよね。

ちょうどイギリスがバブルの頃で、若い女性でも高いサラリーを得る職種が出てきたころ。それまでの地味な、物をなかなか買わない英国人たちがセールではじけ飛んだように買い物したり、ファクトリー・ショップでうきうきしたりし始めた頃。

それまでの古いものを大切に、買い物にもかなり慎重にという価値観が英国なのだと思っていたが、景気が良くなったら買い物に走る人たちがドーっと出てきて「なんだ、英国人も買い物したかったんだ」と脱力した。(もちろん、皆がみなというわけではないですが)

大体銀行もすごいシステムで、本の中でも大学を卒業したばかりのレベッカが口座を開いてくれたらおまけとして最初の2年間は2000ポンド利子なしで超過引き出しができることになってるし。それで味をしめたレベッカが使うのが止められなくなってしまうのも無理ないかと。

日本でもこういうのはきっとあるのよね?私はイギリスに住んでいた時、口座の使い方が安全だと評価されたのか、利子なしの超過引き出し金額がどんどん増えていって「○○○○○ポンドまで大丈夫ですよ~」みたいな手紙が銀行からよく送られてきていた。そんな勧められても。結局超過引き出しって借金でしょ?

映画では舞台はアメリカ、NYになっているんですよね。
原作のシリーズに長く親しんでいたこともあり、レベッカがアメリカ人なのになじめない。

私はアメリカは訪れたことがないのもあり「アメリカははなから物質主義なんだからレベッカが買い物しても別に驚くようなことじゃないのじゃな~い?」と思ってしまう。偏見かも?

レベッカの両親や隣人の夫婦などは英国南部の普通のミドルクラスのEnglish。レベッカのフラットメイトのスーズ、スーズのいとこのターキンなんてどうしようもなく馬好きなアリストクラートのある種典型だし。

そんな地道で伝統的生活を送る人たちの間で、変わり始めた英国の中で、それも新しい大学卒の新しいタイプの女の子であるレベッカだから余計におもしろみがあったと思う。それにレベッカはダメダメなところもいっぱいあるけれど、隣人夫婦のために立ち上がるところとか、真のやさしさがあるので、どうしても嫌いになれず応援したくなるしね。

仕方ない、見に行こうか・・・と思ったら映画は高知では上映されないんですよね。これも飛行機の中で見るしかないか。

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2009年6月 1日 (月)

今起きていること

本の整理をしていたときに、数年前の旅行時に空港で買ったものの読んでいなかった本を見つけて読み始めました。

Sue Townsend の The Queen & I 。

物語は英国が共和制主義の政党が選挙で勝ち、王室のメンバーが2 bedroomの公営住宅に引越しさせられるところからはじまる。

昨晩眠りにつく前に1/4ほど読んだだけなのですが、ダイアナ妃が出てきたり、ウィリアム王子、ハリー王子もまだ小さかったりなので「?」と思い最初に発行された年を見ると、1992年。どうりで王室の財宝を売る相手として日本人が出てきたりするわけだ。そのころ日本はそう見られていたのね。

まだこの話を好きか嫌いか決めかねているけれど、イギリスの普通のワーキングクラスの暮らしが良くかけているとは思う。誇張はあるけど。

チャールズ皇太子やフィリップ殿下は本当に物を知らない愚かな人物に描かれているのに比べ、20代から人生を女王という仕事にささげてきたエリザベス女王は、お話の中でも彼女の物事に向き合う姿勢は尊敬を持って描かれている。

引越しの描写が長い。
持ってきたカーペットが入らず、それが入らないと家具が入れられないので貴重な年代物のペルシャ絨毯を職人を呼び切ってもらうのですが。

すぐに切ってもらうことを決断した女王。
”But these carpets are priceless. It’s would be an act of er...well,sheer vandalism...”とぐずるチャールズ皇太子。

最近知った勝間和代さんの言葉を思い出しました。

「起きていることはすべて正しい」

確かに予定、計画通りに物事が進まないことがあったとき「こんなはずじゃないのに」と思ってしまいがちなのだけれど、そんなこと言ってる間に今現実に起こっていることに対処するのが良いのよね。

エリザベス女王は、受け入れ難い現実に向かうその姿勢が潔く、本当のインテリジェンスだなあと感心した。本の中のキャラクターだけどね。

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2009年4月27日 (月)

『教養脳を磨く』

眠りに着く前にいつも本を読みます。
昨晩、茂木健一郎さんと林望さんの対談の本『教養脳を磨く』を読み始めた。
お二人ともイギリスに住んだ経験があり、イギリスの話題が多く共感しながらするすると2時間ほどで読み終えたものの寝付けなくなった。

イギリス礼賛本ではないけれど、今の日本に不満を抱えているため(って抱えてない人いるのかな?)、茂木さんが「自分の母国をこき下ろすようなことになってしまいましたが・・・」とおっしゃるように日本にたいして、特に大学周辺の事情に対して厳しい意見が出てきます。

でも茂木さんも林さんも日本を愛するがため「どうしてこんなになっちゃったの?」という気持ちになるのだと思う。愛の反対は無関心だもの。こんな風に怒るのは愛なのよ。

(日本で)クラシックファンと名乗る人たちの中には単なるクラシック「オタク」、つまりクラシックに対する雑知識の権化みたいな人はいっぱいいて「ザルツブルクで何年何月何日に演奏されたあのトスカニーニね」などということに生きがいを見出している人がいっぱいいる。でもそんなことは関係ない、大切なのはその音を本当に聴いたときにばっと何かを感じることが出来るかどうかという、非常にソフトな生身の人間の感受性だという話で昨年の夏ザルツブルク音楽祭でご一緒したミスターTJを思い出した。

クラシックのコンサートやオペラは初めてで、でも心のそこから生の音楽を真に楽しんでいた彼の言葉にこちらが感動した。そんな風に受け取ることの出来た彼自身の受信能力が素晴らしいのだと感じ入った。

「ここは世界遺産ですか?」と訊かれて「違うよ。でもそんなことはどうでもいいんじゃない。美しいと思わない?」と答えることがある。多くの日本人にとっては世界遺産かどうかが自分がどう思うかよりも大切なのかなと疑問がわく瞬間。まあお墨付きが好きなだけで深い意味はないのでしょうけど。

だから日本の学者がケンブリッジで集まっても「私は何々大学の・・・」という自慢話をするというのも、まあそうだろうなと思う。まず「名」が大事。

専門の違う人が集まって丁々発止といろいろな話をするそこからいろんなインスピレーションがでてきたり、新しい分野についての知見を広めたりすることができる、そういうことがイギリスのアカデミズム。

この対談から茂木さんが日本のアカデミズムにたいして本当に怒っていているのがわかり、大学周辺にはいない私でも近い経験はしているので彼の怒りが伝染し気が高ぶって眠れなかったのだ。

「日本にいたら頭がおかしくなってしまう」という茂木さんの絶望は深い。今テレビや雑誌、本と何でも引き受けて忙しくしているのは、いずれ近い将来インディペンデント・スコラーになるための助走なのではないかと考えると無性にさみしくなってより覚醒してきた。

ケンブリッジからもクオリア日記は書いてくださいね。英語でも日本語でも。

「本当の論理というものは、しばしば直感に近い」
対談のなかでの林さんの言葉ですが、しばしば論理がジャンプしていると言われる茂木さんの論理を裏打ちする言葉だと思った。その過程は細かく説明できなくてもそうだと思えばそのとおりの直感が正しいことって絶対ある!

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2009年2月21日 (土)

塩野七生さんの来高

先週の土曜日に塩野七生さんが来高してサイン会が行われたのですが、私は仕事の予定が入っていたのであきらめたのです。

彼女の新作『ローマ亡き後の地中海世界』出版にあわせてのサイン会なのでしょうけれど、東京、名古屋、大阪など大都市でのサイン会の最後に高知市というのはかなり意外で、「金高堂はよく呼んだなあ」と思っていた。

今日の新聞に塩野七生さんのインタヴューが載っておりその理由を知りました。

なんと塩野さんは高知に、リタイア後の住居かセカンドハウスを持ちたいとお考えだとのこと。「高知は気候もいいし、食べ物もおいしいし。お酒もおいしいって言うでしょ?目をつけているところがあるから、今回はその辺りを回ってみようと思うの」

確かにリヴィエラの海岸沿いの道を車で走っていると「ここは高知?」と思うことはよくあり、(ニースからマントンのあたりでも”花街道”のようだと感じる)イタリアに長くお住まいで地中海の香りがする塩野さんが高知にリタイアなさっても不思議じゃあない。まあまだ本決まりではないでしょうが、視野に入れてくださっただけでもファンの私としては嬉しいです。

次作について訊かれ
「今回は総じて海賊だったイスラムが悪者だったけど、次はキリスト教徒が悪者になるの。それで私の中でもバランスがとれる」
「歴史は科学ではないから、中立の立場で書くことは不可能です。こっちから見るとこう、逆からだとこう、というふうにしか言えないのね」
とおっしゃる塩野さん。楽しみです。

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2009年1月11日 (日)

贈りもの

今朝突然ある生徒さんが訪ねてきた。
あるケーキ屋さんで「いちご祭りをしていたから」と自分が買いに行ったついでに私が好きそうなケーキを買い持って来てくれたのだ。ちょうど出かける前で少ししかお話できなかったのが残念だったけど。

それにしてもこんな風に誰かの喜ぶ顔を思い浮かべながらさっとそういう行動がとれるのは素敵だなあ。

昨日も友人と話したことに、贈り物、お返しの難しさというのがある。
その友人は何かお返しをしたいのだけど、相手が何でも持っているように思われてあれこれ考えているだけで時間がどんどんたち・・・ということだった。

私はそうして相手の好みやどうしたら喜んでくれるのか考えているその時間がもうすでに素敵だなと思ったけど。贈り物は得てして贈る側の好みに偏ってしまいがちなので。まず相手ありき、の考えがね。

河合隼雄さんが友人間の贈り物について、本当に難しいと書かれていた。

贈りものに対してお返しをする。このとき品物が大切ではなく、「感謝の心」を表現することが大事なのである。(中略)
2人の間の物の交換ではなく、深い心の触れあいの象徴として贈り物が動いている。本来の贈りものというのはそのようなものかもしれない。
『大人の友情』より

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2008年11月24日 (月)

遅れてのはちみつとクローバー

注文していた『はちみつとクローバー』全10冊が届き読んでいると姪が「何でいまごろ?」と。「まだ読んでなかったの?」という感じでしょう。

それは私も思う。本棚の危機なのでなるべく本は買いたくない、とはいっても読みたい英語の本はどしどし買っているわけでますます危機になり、そのうち映画になったのを見に行って読んだような気になっていたもので。

多分本が先で映画を見たら不満だったと思うけれど、映画もよく作られていたといまさらながら思った。お話のエッセンスをしっかりと描いていたから。

本のなかで一番好きなところは森田が急にアメリカに行った時、竹本君がはぐに森田さんに帰ってきて欲しいか訊くところ。

「帰ってきて欲しくない。
やりたい事全部やってみれるまで
がんばるのがいいと思う」

そう答えるはぐが好き。

確かに恋はしてるんですが皆自分のやるべきことはしっかりとやり遂げるその姿勢は見事に共通していましたね。

読み終えたあと思い出し『あのひととここだけのおしゃべり』をひっぱりだして羽海野チカさんとよしながふみさんの対談を読む。

この本は萩尾望都さんとの対談が載っているという理由だけで買ったものの他の対談相手のことを知らなかったこともありそのままになっていた。多分有名な方たちなんでしょうが、私がBL関係に無知なので。

よしながさんの「やおい」の定義では、性別は関係なくて男女でも、そうじゃなくても見た目仲良くないんだけど、お互いの力を認め合っていて、それでその人が本当に困ったときには手をかしてやる関係みたいなもの、例えば『NANA』のナナとハチ、『エースをねらえ』でもお蝶夫人とひろみ。『のだめ』も男女でやおいなのだそうで。こういう関係はまさしく私の一番好きな関係性なんですよね。

羽海野さんが描き始めるときに恋愛じゃないけれどすごく仲がいい・・・・っていうのは何だかとてもときめくなぁって思いそこからのスタートだったというお話に納得しました。

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2008年11月22日 (土)

エイドリアン・モールの日記

大変美しい澄んだ空の土曜日だけど普通に授業。

英語で日記をつけたいけれどどうやって書いたらいいのかわからないとある生徒さんが言う。小説のような日記を書こうとして「できない」といっている場合が多いのでThe Secret Diary of Adrian Moleをすすめる。こんなに簡潔に書いていいんだよ、とサンプルの文章を見せると「ほんとだ~」と意外そう。

これは少年の日記だからシンプルなんでしょう?と思うかもしれないけれど、オスカー・ワイルドの手紙だってだらだらした文章ではないですよ、もちろんずっと美しいけれど。

この本を私が読んだのは1982年。懐かしくなってAdrianの話を友人としていたらなんと来年映画が公開予定だという。それと私は最初の3冊しか読んでいないけれど続いていて2004年に出版されたシリーズ最後の6冊目ではエイドリアンはなんと33歳だというから驚き!いやまあ自分も年齢を重ねているしエイドリアンもそうだったのね・・・。

でも映画はアメリカ製作ということで、この大変にEnglishらしい男の子のEnglishらしいコメディーがなぜにどうやってアメリカ映画になるのかいまから心配。

それでなくても原作物の映画は難しい。
飛行機の中で見ただけだけれどThe Other Boleyn Girl(ブーリン家の姉妹)の映画でも姉妹のそれぞれの性格があまりにも単純化されていて、原作が良かっただけにこういう人間を黒か白かに分ける映画を作らないで欲しかったな。いやこういうのを求めている人が多いというだけなのか。女優さんたちとドレスはきれいでそれは楽しみましたが。

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2008年11月10日 (月)

マシューの弱さ

レッスンでAnne of Green Gables(赤毛のアン)を使っているクラスがいくつかあるんです。はじめたばかりのクラスではちょうどアンが駅から馬車で家まで連れて帰ってくるところを読んでいて、気にかかることがあるんですよね。

マシューが駅で初めてアンに会ったときに「間違いだ」といえず「とにかく家に連れて帰ってマリラにまかそう」と思うところがどうも気にかかる。その長い道中美しい景色に感動してしゃべり続けるアン。何度読んでも到着したあとのアンは大丈夫かはらはらします。

特にそれまでの景色を楽しんだアンが家に近づいてきたのを知り

Have we really only another mile to go before we get home? I’m glad and I’m sorry. I’m sorry because this drive has been so pleasant and I’m always sorry when pleasant things end. Something still pleasanter may come after, but you can never be sure. And it’s so often the case that it isn’t pleasanter. That has been my experience anyhow.というところでも胸が痛む。

後で間違いに気づいたアンが
I might have known it was all too beautiful to last.というのを知っているから。

アンが Why didn’t you tell me at the station that you didn’t want me and leave me there? If I hadn’t seen the White Way of Delight and the Lake of Shining Waters it wouln’t be so hard.というのももっともだと思う。でもマシューは答えずにそこでも逃げるし。

先延ばしにしたことで余計に傷が深くなるのでマシューが駅で言わなかったのはずるいよ、と思ってしまうのですね。まあそんな弱さ、Nobody is perfect なのを描いたところもこの本の良いところかもしれないと思いますが。

でもそういったら生徒さんたちは

「駅で言ってたらアンは道中の美しさも楽しめなかった」
「私も言えないとおもう」
「本だから」
「言ってしまったらお話にならなかった」

なんかクールなの。

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